趣味

桃太郎

ここ一月ほど三代目(当代)桂米朝の落語CDを聴いている。

人間国宝である。落語家としての初の人間国宝は五代目柳家小さんであり、二人目である。

それだけでも一度は聴かなければと思うのである。

聴く価値は十分にあると思う。切れとテンポの良い語りは頭脳明晰さを伺わせる。

今週聴いた標題の「桃太郎」は短い古典ではない一席である。したがって、いわゆる古典落語の一席よる名人芸披露とは趣が異なるのであるが、素晴らしく洗練された技がキラリと光る気がしたので書き留めることにした。個人的な主観的感想であるが、恐らく桂米朝のそれこそが最上ではと感じる一席である。

噺のあらすじは親が子どもを寝かしつけるときに桃太郎の昔話をして聞かせるというところから入っていくのだが...是非一度聴くことをお勧めする。

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お富与三郎

金原亭馬生の落語CDで「木更津」と「稲荷堀(とうかんぼり)」を鑑賞した。

『馬生が口演したのは「木更津」、「稲荷堀」、「島抜け」、「与三郎の死」の四席で、これでも全体からみれば四分の一にも満たない分量に過ぎない。』とCDに解説書にあるから、この人情噺は相当長いストーリーになっている。

「木更津」と「稲荷堀」の間に有名な「玄冶店(げんやだな)」がある。馬生師匠はここは要約してあっさりと済まし、「稲荷堀」へと進むのであるが、何と!この「稲荷堀」は次の「島抜け」に更に続くというのであるから、これもいつか鑑賞しなくてはならない気分となった。

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『この物語は言ってみれば美女美男のお富と与三郎の悪事の積み重ねで出来上がっているのだそうだが、馬生は悪事に重きを置かず、悪事の間に芽生えている男女の情愛にスポットを当てている。』(CD解説)

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「木更津」で与三郎がお富の亭主赤間の源左衛門に顔や体を切り刻まれるところの口演には思わずぞくっとする。さらに子分の海松食(みるくい)の松が、血が流れては失血死するからとその傷口を蝋燭で焼くと続くのだから暑さも忘れて聞き入ってしまった。

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この長編人情話については、詳しい説明がなされていると思うので、キーワードだけ拾い書きしておこう。

元は講談。これを初代古今亭志ん生が人情噺として口演し、有名にした。

この人気に目をつけた狂言作者三代目瀬川如皐(せがわじょこう)が「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」、通称「切られ与三」という歌舞伎に仕立てた。

名せりふ

(与三郎)しがねえ恋の情けが仇、命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から、めぐる月日も三年(みとせ)越し、江戸の親にゃァ勘当受け、よんどころなく鎌倉の、谷七郷(やつしちごう)は食い詰めても、面(つら)に受けたる看板の、疵(きず)がもっけの幸いに、切られ与三(よそう)と異名(いみょう)を取り、押し借り強請(ゆすり)も習おうより、慣れた時代の源氏店(げんやだな)、その白化(しらばけ)か黒塀の、格子作りの囲いもの、死んだと思ったお富たァ、お釈迦様でも気が付くめえ。よくまァおぬしは達者でいたなァ----。

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直し(本直し)

先に江戸時代の酒について書いたが、その後落語CDで「青菜」(三代目春風亭柳好)を聴いた。青菜には「直し」という酒が出てくる。では直しとはどんな酒なのかということで、続きを書こうと思った。

Web検索した結果によれば、直しとは、焼酎に味醂を加えたものである。あるいは味醂に焼酎を加えたものと言う解説もある。「直し味醂」と呼ぶのが正しい。

一方、腐りかけた酒や下等な酒を加工して、普通の酒のような香味を持たせたものがあり、これは「直し酒」と呼ばれる。

青菜に出てくるのは家の主人が「柳影(陰)」と紹介しているから、前者である。

ウィキペディアによれば、「江戸時代には焼酎の亜種としてよく飲まれていたが、現在では一般にはマイナーな存在である。かつては夏の暑気払いとして、井戸で冷やされて楽しまれ、高級品として扱われていたことが、上方落語の「青菜」に伺える。また正月の屠蘇のベースとして用いられた。」とある。

現在ではマイナーということであるが、1990年代末期には節税焼酎として販売量が急増した(ウィキペディア)ことがあるようだ。また、かって熊本の実家で正月を祝うときには必ず屠蘇を飲んでいたので、自分も飲んだことがあることになる。赤酒と称して、ティーバッグのようなものが浸されてとろりとした粘稠な酒で、自分としては養命酒のような薬用酒だとばかり思っていた。味醂と焼酎ベースだったのか!子どものころは体に良いものなのだろうと信じていた。甘くて美味しいので祖母や母にねだって余分に飲ましてもらっていた。それを冷やして夏に飲むというのは一度試しにやってみたいものである。

話を元に戻すと、つまり江戸時代には味醂のような原酒を水で薄めるだけでなく、味醂の甘さを焼酎で抑えたような酒もあったということだ。

以下は落語「青菜」のあらすじと、今回参考にしたWeb上の記事の抜粋である。

なお、落語には「お直し」というのもある。この一席についてはまた別途書いてみたいと思う。

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BGT(British Got Talent)を観る

奇跡の美声 Susan Boyle

もう一度見たくてYou Tubeにアクセスした。何度みても感動する。スーザンの素晴らしいパフォーマンスに魅せられて、審査員、観客の皆が、さらに歌ったスーザン本人までもが衝撃と感嘆と感動と感激で満ち溢れた世界で一体となる。ジャッジをする3人もそれぞれ個性的で、正直そうで好感が持てる。観客も感動すると惜しみない賞賛を送る。スーザンも驚きながら素直に喜びを表す。

天使の声 Connie Talbot

Susan Boyle を観ていて、Connieを発見した。この偶然の出会いにに感謝したい気持ちだ。天才少女だ。穢れない声、それは穢れ無き精神から発されてくるもののように感じる。癒される。Somewhere over the rainbow、What a wonderful world, Imagine, I will always love you  etc. どの歌も素晴らしい!思わずアマゾンでCD購入予約してしまった。

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日本の少女演歌歌手にもめちゃくちゃ上手な子がいる。「大漁まつり」を歌う、さくらまやという子だ。大人顔負けの完成度で、子供らしさというより訓練した成果のようで少し退くが、歌が上手である。

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落語_大師匠競演

お好み寄席 - 大師匠競演 - (チャンネル:BS2、放送日: 2009年3月31日(火) 、放送時間:午後6:00~午後6:45(45分) )をビデオに録っておいたものをやっと観た。

番組の内容紹介には、「桂米丸と三遊亭圓歌が夢の共演!落語芸術協会と落語協会の最高顧問の二人が、落語界の現在と未来を熱く語ります。もちろん、二人の落語もたっぷりとお楽しみください。 」とある。両師匠とも戦後間もなくの入門で60年以上の芸歴で、それぞれ84歳と77歳とのことであった。

演題は圓歌師匠が「昔の芸人」、米丸師匠が「ジョーズ」であった。

圓歌師匠の歩きにはややおぼつかない足元に不安も感じたが、高座は歴代落語協会会長についてのエピソードを独特の切り口で紹介するもので、実に興味深く面白く語り、開始早々から聴くことに神経が集中した。与えられた時間が短かった様に感じたが、仕舞い際に三遊亭円生と林家正蔵が真打昇進の認否のことでちょっとした対立があり、円生が「会長を辞める。」と言い出し、正蔵が「昔から死ぬという奴ほど死なねえ。」とポツリ言って、その結果協会が二つに割れたとの裏話には驚くやらもっと知りたいやらと感じた。いつかすぐまたどこかで聞く機会もあるだろうか?本当のところを正確に知りたいものだ。

米丸師匠の高座はまた会場の爆笑を取っていた。会場は高齢者のファンがやや多かったようで反応が控えめであったように思われた。自分は大爆笑であった。新作で一貫してきたという信念、創作の苦労話などを聞いての高座の面白さはまた格別に感じた。落語界に入門して1年で辞める人も多いが、2年目になるともう辞められなくなる。寄席のお客様の呼吸が合ったことを経験すると、辞められなくなると語った。「客の呼吸が一つに合う」とは、笑いが一斉に起こった後皆一斉に息を吸う瞬間のことを言うのだそうだ。なるほどと合点した。

両大師匠(おおししょう)の番組中の会話も実に興味深いものであった。

落語ブームについては、寄席に来る若い人が増えたが、題目を観てその噺は聞いたことがあると席を立つ人が居るのを嘆いていた。同じ演題でも噺家はそれぞれに工夫を凝らしているのでじっくり聴いて欲しいと語っていた。これには全面的に賛同するし、そのことが理解できないようではそもそも落語を聴くとか味わうと言えないだろう。「耳の肥えたお客様」が少なくなって来たとも言っていた。

また、若い芸人の短時間で笑いを取る風潮にもやや批判的であったように感じた。

一方で、若い芸人が入ってくることは自分たちの刺激にもなると語っていた。

落語家とはいつまでも頭脳の柔軟性が要求される職業だなと思ったものだ。それは楽しくもあり、時には過酷でもあることだろう。しかし大師匠二人の姿や信条にはネガティブなものは微塵も感じられないようだった。

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母の日に思ったこと

熊本の母は少し熱を出して元気が無かったらしい。父に電話したら、「だんだん弱っていくばかりだ。」と言っていた。

群馬の母には白の胡蝶蘭の鉢植えを家内と相談して贈った。母はそれを先日長女が初給料でプレゼントしたウォーキングシューズと一緒に先祖と父の仏壇前に並べて置いた。家内が「靴は履かないとだめよ。」と笑っていた。

その家内には何のプレゼントも用意していなかったのであるが、NHK BSの再放送の番組録画を紹介した。たまたま娘も居て一緒に1時間の番組を観た。何らかの感銘を受けたようである。

その番組は「富士山ろく夢の庭・梶みゆきオールド・ローズ・ガーデンの四季」であった。

番組にはうちのかみさんが憧れるたくさんの庭造りのヒントがあったのではないかと思う。かみさんの課題としては、藪や蛇や虫類が苦手であること、雑草取りに特別な楽しさや意義を感じないこと、多量の土いじりには体力不足であることなどではないかと思う。それらを克服して理想の庭造りに挑戦して貰いたい。

自分としては、畑地の一部は耕作管理が難しくなれば庭に転換してらどうかと考えた。実の生る低木などをたくさん植えて、伐採や刈り込み等の手入れにはあまり手間が掛からず、自然と調和させられるようなら理想である。しかし、植物は成長するし、伸ばしっ放しなどでは庭ではなくジャングルになる心配の方が大きい。害虫も問題となろう。これからも毛虫やいろんなものが木の葉を食べたり痛めたりすることだろう。現実はなかなか思うようには行かないかもしれない。

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母の日の午後は近所のホームセンターのグリーンコーナーに夫婦で出かけた。物凄い混雑、混み様であった。

いろいろと観察してきたが、イングリッシュガーデン傍の売店でハーブ4鉢を購入した。庭の芝生のヤマボウシの根元とハーブエリアに植えた。

以上がかみさんにたいするささやかな母の日のプレゼントになった。

かみさんには誕生日プレゼントで奮発しようと思っている。

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ズッキーニの苗を売っていた。ただ少し萎れていたので、今度元気のよい苗が入荷したときに買ってこようと思う。

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昔裏の庭にあったクレマチス(テッセン)がここ何年か見ていない。絶えたのであろうか?グリーンセンターでは様々なクレマチスを売っていた。

家の東側に、夏の朝日や日除けのためにゴーヤを植えて蔓を伸ばそうと考えている。母に尋ねたら苗はまだこれからだということだった。グリーンセンターにもまだ売っていなかった。テラスの幅が広いので、家の外壁部に届かせるのは容易ではないかも知れない。かといってプランター植えでは水を遣り忘れて枯らすリスクが高過ぎる。夏のリビングルームの暑さはたまらないので何とか検討したい。

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子どもの国民年金やら、自動車の重量税やら、結婚祝い、入院お見舞い、定期異動等の歓送迎会等々、なにやらとこの月はまとまった出費があって、通常月より金回りに苦労している。国民定額給付金は18日頃の支給になるだろうか。某会社の株式配当は無配が決定している。

さて、会社の給料も定期昇給、賞与共に厳しい見通しである。世の中再びデフレの危機が言われているが、このままだとデフレスパイラルに陥るのではないか。

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元先輩や元後輩が最近相次いで韓国系化学企業に就職したと聞いた。一人は常務、一人は部長でかなり高額な年収での契約のようである。「仕事のプレッシャーが大変じゃないか、俺は遠慮する。」という者もいる。しかし、その前に居た人もその後に続こうとする人も複数人居るようである。「2年間は競業避止契約義務がある。」と言う者もいる。「遠くない時期に壮行会を開催することもあるかもしれない。」などの噂や連絡も流れてきている。みなそれぞれに頑張って欲しいが、シニア技術者のいわゆる草刈り場状態となっている現状に、現在の日本企業の人事管理上の問題点も垣間見える気がする。ノウハウや技術知識の優位性を維持管理することは極めて難しい時代になったと思うのである。

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GW中に目に留まった本のこと

北原亜以子氏の「深川澪通り木戸番小屋」をGW中に読み始めた。シリーズ本で3冊くらいあるようだ。

氏の小説を読もうとしたきっかけはNHKのドラマ(慶次郎縁側日記)である。そのときにまとめ買いしたままになっていた文庫本を手にとって見ていて、連休中にこのタイトル本から読むことにした。前記ドラマになったシリーズとは違うが、泉鏡花賞を受賞した名作集とのことである。

まず読んでみて、地理描写はまさしく深川江戸切り絵図のとおりである。主人公であるそこに住む木戸番夫婦の生活ぶりは深川江戸資料館で見てきた街並みそのままではないかと思われる。

人の心理や感情や人情が女性らしい繊細なタッチで描写される。短編でもあり読み始めると最後まで読み進まずに居られなくなる。

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著者北原氏はかって池波正太郎が怖かったと語っていたのを何かで読んだことがある。初対面のとき池波先生曰く「気障りだ。」(だったかな?)との評を下さったとか。

確かに池波氏の鬼平や小兵衛やらに出てくる人情話とは異質である。また藤沢周平とも違う感じである。今後いくつかの作品を読んでそれらの間の違いが何であるかを読み解いてみようと思う。

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ところで連休中立ち寄った本屋で、池波正太郎の「江戸切絵図散歩」(新潮文庫)が目に止まり、手にとって見たが、地図が小さくて文字が滲んで読めないので買うのをやめた。Amazonでハードカバー本があることが分かったのでそちらの購入を検討してみることにした。

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本つながりで忘れないように書き留めるが、連休中家内の花粉症の薬の処方箋を貰いに近所の開業医さんに立ち寄ったとき、待合室で上州弁に関する本を何冊か見た。著者は同じ人だった。その中で「上州弁読本」というのを読んでみようと思った。

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子別れ(中)_浮名のお勝(かつ)

今週のNHK「日本の話芸」で柳家権太楼の一席を観た。

子別れは落語好きの友人たちも必ず良いという一席である。

「子別れ」は上、中、下からなるが、この中段だけをじっくり聴いたのは初めてであった。また権太楼師匠の高座も素晴らしかった。

これで自分の中で「子別れ」全編のストーリーが繋がった。実に嬉しい。毎週日本の話芸を見てきた甲斐があった。

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先週は桂歌丸の「壺算」であったが、これも良かった。最後に本人のコメントが入っていたのも珍しい構成で、「遊びを入れている、落ちを変えている」などの解説は勉強にもなった。

その後手元の落語辞典や関連する江戸の町を散歩する本等を読み返してみたりしながら、ひと時を超えふた時くらい過ごして寝不足になってしまった。

そういう日に限って仕事の後の飲み会のお誘いがある。このところの日中は汗ばむくらいであり、ビールが美味かろうと出かけて行って、燗酒、焼酎お湯割り、焼酎サワーと相当飲んでしまった。子別れの大工・熊五郎にも負けないくらいの無計画な酒飲みだ。

毎年この時季(誕生日から結婚記念日の頃)はヒノキの花粉で頭が重たいのだが、夕べの深酒のせいか今朝はそれに加えてずきずき痛みも感じた。

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そういえば今日は父の誕生日だ。お祝いの携帯メールを送ろう。二日酔いでなどと言い訳できない大事なことである。

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春の花咲く

春の花咲く
春の花咲く
春の花咲く
春の花咲く
春の花咲く
ソメイヨシノ、八重桜、水仙、椿

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江戸一目図屏風

落語「昭和の名人」(決定版)CD付き<小学館>を購読している。

先日新聞記事で読んだが、随分人気があるようだ。

CDは音が良い。現在の第5巻までは話も解説本も内容が充実していて、お値段以上の価値があると思う。

先月居酒屋で友人のT氏が是非とも見せたい本があるといって鞄の中を捜したが結局「忘れてきた。」と言った本もまたこの冊子だったとのこと。

この冊子は実に面白く、興味深い。いろんな挿絵や写真もあって楽しいし、理解も深まる気がする。

特に第2巻五代目「古今亭志ん生」には、標題の江戸一目図と落語鑑賞の基礎知識「らくだす」が付いている。

この江戸一目図は見ていて飽きない。1809年鍬形惠斎作ということで、今からちょうど200年前の江戸の様子が描かれている。

いろんな落語の舞台でもあるし、加えて時代小説の場面にも繋がる。

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これまでの落語CD鑑賞は聴くばかりで、その他の関連情報は本を買って知識を得てきた。しかし、落語の演目の解説に偏った本が多かった。その後、江戸庶民の風俗や生活、地図などをポツリポツリと集めてきては眺めていたが、やや効率が悪いと感じていた。

その点、今回のシリーズ本は順次配本されるそれだけを読んでCDを聴いていればかなりの知識が得られる構成になっていると思う。

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落語

近所のレンタルショップで古典落語のCDを借りて聴いた。

名人たちの高座を録音したもので「黄金餅」、「目黒のさんま」等全5編。

そのレンタルショップには他にはあまり落語のCDはなかった。

ところが近所の市立図書館にたくさんのシリーズがあることを発見した。

早速十代目柳家小三治師匠の「前座噺」と「与太郎噺」の2巻を借りて聴いてみた。

「前座噺」の一編はCDに傷があって音が飛びまくり何が何だか分からないのは残念だ。

群馬と東京の往復ドライブのときに車中で聴いている。

日本の話芸というのは素晴らしいと思う。庶民の生活の情景や登場する人々の生き生きとした姿や人柄が見事に演じられる。また、そういうものを演題にして人に聞かせて笑わせること、またそれを聴きに行く人が居るということが、日本の良き文化だと思う。

暫くは小三治を聞いて、その後は小さんにしようと考えている。

さらには浪曲なども聴いてみるつもりである。とにかく宝の山を発見した気分だ。

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階(きざはし)&サライ

日経夕刊の記事で、竹中平蔵氏がかって小泉内閣で大臣をやってくれと頼まれたときに、「谷村新司の『階(きざはし)』の歌詞を思い出して引き受けることを決心した。」「カラオケでもよく歌う曲の一つだ。」みたいなことが書いてあった。

このことが気になってて、先日近所のファミブにCDを借りに出掛けた。するとその日はたまたまサ-ビスデーで料金割安というので、谷村新司ベストアルバムに加えて堀内孝雄のCDも借りることにしたら、会員カードの更新手数料が必要ですと言われた。そうかもう随分来てなかったんだなと気づき、結局、更新料を支払って割安感も消えた気分だったがCDは全部借りてきた。

竹中氏が記事で引用した「階」の歌詞はサビの部分で、次のとおり。

時が来れば野を駈けても
行かなけりゃ行かなけりゃ
悔やむ気がする
あなたにはあなたには
夢を信じていてほしい
僕は今橋になる
夢を渡らせる為の橋になる

もちろん曲も繰り返し聴いた。いいですねー、谷村新司。普段だらだらした暮らしぶりの自分も背筋を伸ばして聴く気になる。とにかくハイレベルで非日常的なものに触れることはいいことだ。

ちなみに「階」の意味は次のとおり。(1)多層の建築物のひとつの層。「上の―」;(2)地質時代を区分する時の「期」に相当する期間に堆積した地層。;(3)官位。等級。「―越えて学士の右大弁三位になる/宇津保(国譲下)」;(4)階段。きざはし。

ところで、僕が借りた谷村新司の2枚のCD共に「サライ」が最初の曲でした。ひとつは加山雄三氏とのデュエットでした。これも、じっくり鑑賞しましたが、初めて歌詞の内容を知りました。これまでカラオケの持ち歌で何度も聴いていたのだが、こんなにいい曲だったんだ。いつか友人のUさんとデュエットできるように、そのうちに自分の持ち歌にできるように自主トレに挑戦してみようと思う。

なお、「「サライ」とはそもそもペルシャ語で「隊商宿:キャラバンのための小さな宿」のことだが、この歌では「ふるさと;心のオアシス」というニュアンスで使われている。 」とのこと。歌詞を末尾に紹介。

堀内孝雄のCDについてもひとこと。TVドラマの主題歌を多く収めたアルバムを借りてきた。元アリスで谷村と一緒に歌っていたが、その後ソロ活動に転じてからは、それぞれがそれぞれの持ち味を出しているようだ。勝手なコメントながら、谷村は雄大・壮大なドラマをイメージする曲と歌詞。一方、堀内は人の心の機微や人情などを細やかに表現していると思う。演歌調の色合いもある。これまでに聴いたことがある「影法師」と「恋歌綴り」を風呂場やドライブ中に歌ってみている。僕には少しキーが高いようで、なかなか本物の歌のようにはいかない。

でもこれでささやかながら新しいカラオケレパートリーの勉強という目標ができて良かった。

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「サライ」 作詞:谷村新司  作曲:弾厚作

遠い夢捨てきれずに ふるさとを捨てた
穏やかな春の陽射しが 揺れる小さな駅
別れより 悲しみより 憧れは強く 
寂しさと隣り合わせの 一人きりの旅立ち

動き始めた 汽車の窓辺を
流れていく景色だけを じっと見ていた
桜吹雪の サライの空は
悲しいほど蒼く澄んで 胸が震えた

恋をして 恋に破れ 眠れずに過ごす
アパートの窓ガラス越し 見てた夜空の星
この街で夢追うなら もう少し 
強くならなけりゃ 時の流れに 負けてしまいそうで 

動き始めた 朝の街角
人の群に埋もれながら 空を見上げた
桜吹雪の サライの空の
流れていく白い雲に 胸が震えた

離れれば離れるほど なおさらにつのる
この想い 忘れられずに 開く古いアルバム
若い日の 父と母につつまれて過ぎた
柔らかな日々の暮らしを なぞりながら生きる

まぶた閉じれば 浮かぶ景色が
迷いながらいつか帰る 愛のふるさと
桜吹雪の サライの空の
いつか帰る その時まで 夢は捨てない

まぶた閉じれば 浮かぶ景色が
迷いながらいつか帰る 愛のふるさと
桜吹雪の サライの空の
いつか帰る いつか帰る きっと帰るから

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ブログタイトル

「モリリン」は多くのみなさんに使われていることがインターネット検索の結果判明した。我が愛する妹のハンドルネームの音感が間が抜けてて最後のほうは力まで抜けてて可笑しいので、その冒頭部分を勝手に拝借したが、やはりオリジナルを創作しようと思う。

しかし、良いアイデアが思い浮かばない。それでもう暫くこのままにしておく。

ところでネーミングというのはアイデアというよりは感性か。短い文字の組み合わせだとどうしても誰かのと同じになってしまいそうだ。逆に言えば同じ表記でも内容はさまざまと言えるということだ。

モリリンは会社名、元気モリリン、モリリン・マンローなどの使用例があるようだ。そう多くは無い方だと思う。妹は森鴎外の本名の森林太郎から発案したのではと思っているが...?

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フリー読書

このところ藤沢周平を読んでいる。ただただ黙々と読んでいる。が、ふと、現在の自分が実に共感を覚える文章に出くわすことがある。するとフィクションの世界のことと考えながらも登場人物への親近感を覚えつつ、いよいよ物語の展開に引き込まれるのである。しかし読み終わるとどうだろう。直ちに現実の世界に引き戻されるのである。これが寂しい。あの主人公はもう別の世界に帰ってしまったんだと。

ところが別の楽しみ方が思い浮かんだ。共感を覚えた文章を通じて作者自身の心情や人格を推量してみるのである。虚構のストーリーではあるとしても、そこに作者の人柄やその人自身の生活の臭いが滲み出ているのではないかと思うと、勝手に作者との距離感が縮まるのだ。すると別の世界に帰って行ったかの登場人物たちもまた身近に戻って来るかのようなのだ。

作家の著作活動というものは少なからず自分自身の現実の生活の影響を受けるだろうと思う。自分の頭に浮かんだ構想に自己の思想や感情を込めて言葉で表現していくのであるが、どこかにその人なりの人格が表れるのではないだろうか。自分とは全く別の人格になりきっての創作ということはできないのではないか。想像だけのストーリーということは有り得るとしても、執筆していくときには、自己を取り巻く日々の現実や情報に影響されて、自己の人格に基づき形成された自分の思いを綴るのではないか。

以下は、一昨日読んだ作品の共感箇所の紹介。次の記事は「女というもの」にしようかな。

「一顆の瓜」(藤沢周平「冤罪」新潮文庫)より抜粋 

「女というものはな、久坂」「男の苦労などというものは、何もわからんのだ」
「そうだ、そのとおりだぞ、島田」
「女は男の甲斐性というものを銭金で計ろうとする。そしてだ。ついに男の値打ちというものを覚ることが出来ん。哀れな連中なのだ」
「そうだ、よく言ってくれた、島田」
(すでにしたたか酔いが回っている泣き上戸の久坂)甚内は啜り上げながら、冷や奴を端でつまもうと苦労している。
(中略)
少し酔ったが、足もとがふらつくほどではない。いい気分だった。甚内の女房を肴にして、女どもを罵倒している間に、妻の美佐のこともあまり気にならなくなってなっていた。
-要するに貧しいからだ。
と思う。甚内の女房にしても、美佐にしても、気持ちの底には常にその不満がある。ふだんそう深刻な気持ちで暮らしているわけでなくとも、法事だ、祝言だと親族が寄り集まるようなときに、日頃は隠れている不満が顔を出してくる。(中略)せめて人なみに飾りたいという美佐の気持ちはうなずけないわけではない。しかも美佐は、さすがに足軽長屋の女房たちのように、あからさまに亭主を罵るということも出来ないから、あのように蛇のような気味悪い眼で亭主を眺め、暗闇の牛が家の中にいるように、態度もふてぶてしく口を利こうともしない。
-だが、ない袖は振れぬ。
半九郎はそう思い、それにしても陣内は子供が多いから大変だろう、と千鳥足で帰って行った僚友を案じた。酔って帰って、またひと悶着あるのではないか、と思ったのである。

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桜木

ソメイヨシノの苗木を3本、10本...と買い求めたのは何年前だったかな?宅地内に植えようとしたら、母と今年正月に亡くなった父に「落ち葉が雨樋に詰まるからやめてくれ。」といわれて、墓地に植えることにした。「墓場に落ち葉が積もらないように離して植えないとな。」「すぐ大きくなるから間隔はこのくらいかな。」などと言いながら父も手伝ってくれた。

ひどい台風のときがあって、1本が根本の方の幹から折れた。僅かに片側の表皮だけが繋がってるほど無残なものだった。父と幹が元通りにくっつくように立てて、折れた部分の幹周りにシリコーンシーリング材とコールタールをたっぷり塗り付けた。その上からやや目の粗い布テープでぐるぐる巻きにして手術終了した。さらにその処置した部分全体が土に隠れるほど土盛りした。その後木は無事に育ったばかりか、今ではなんと一番大きな幹を持ち、一番広く枝を広げている。その桜木を見るたびに不思議な感慨を覚える。

(つづく)

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