ジョエル逝去
8/4夕刻、突然の連絡に驚いた。母から携帯に電話が掛かってきてジョエルが死んだと。泣き声であった。電話の向こうで姪っ子たちが泣いているのが聞こえた。
空模様が怪しくなって夕立が来そうだというので、早めに散歩に連れて行き、帰って夕食のエサを与えたらしい。エサはすぐに食べようとしなかったが、普段と何ら変わりない様子だったという。
ただ、激しい雷鳴と雨になったとき、犬小屋の中で騒いでいた様子だったという。その直後に犬小屋を除いたら倒れていたとのこと。
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家内にすぐ連絡した。携帯に掛けたが仕事中か繋がらない。伝言メモに声を残しておいて、メールも打っておいた。そのあとすぐに帰宅したようである。母に電話したら電話を代り、まだ暖かいんだよと泣いていた。父が亡くなってからは週日のほとんどの朝夕の散歩の面倒を見ていたからショックを受けたに違いない。
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その日単身赴任している僕は仕事を終えて帰宅し、着替えて、アパートにやってくる息子を最寄り駅まで車で迎えに出たところだった。息子は夏休みを利用して九州の私の実家である祖父宅に行く計画である。僕の単身赴任アパートに前泊して翌早朝に羽田から熊本空港へ行く日程である。
駅に向かう僕に母から携帯が掛かってきた。突然の報告にびっくりした。週末夕方の散歩に連れて行ったときは息遣いが荒そうに感じたが、暑いせいだろうと思っていた。朝は息遣いが荒いことも無かったし、夕方も散歩から帰ってきて犬小屋の屋根や周囲に水を撒き、シャワーをかけてやると気持ちよさそうにしていた。あれが最後の散歩になってしまった。
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昨夜はベッドに入ったら涙が出てきてなかなか寝付けなかった。
ジョエルは子犬の頃から前足を重ねて前に伸ばして伏せる癖があった。このところの猛暑を避けるために昼間は山モミジの木にワイヤーを掛けて繋いでいたが、そのとき金木犀の木の下に穴を掘ってそこの地面に腹這いになって涼むようにしていた。そのときも前足を重ねているところを見たものだ。近づくとその涼しい金木犀の木の下からのそのそ出てきて尻尾を振った。頭をなでて離れるとまた金木犀の下に戻った。
スイカが大好きで4分の1にカットしてあげると、赤いところだけをきれいに食べた。あんまり食べさせると赤いうんちが出るよなどとつい昨日まで言っていたところだった。
パンも大好きだった。子犬の頃からベーカリーで余ったパンを家内が食べさせていたせいか、カレーパンや調理パンを除いてどんな種類のパンも良く食べた。フランスパンなど噛み切れないので食べづらいだろうと思うのだが、結構楽しんで食べて特にお気に入りののようだった。
人懐っこくて遊び好きで気立ては優しい犬だった。子犬の頃から人見知りすることなくじゃれ付く癖があり、そのため成犬になってからは大型犬でもあることから立ち上がらないように訓練した。最も体重があったころは約37kgあった。人に対しても吼えないし、よその犬に対しても吼えたり歯を剥き出したりしなかった。小さい犬に近づいていって逆に鼻の頭を齧られたことがあった。番犬としては役立たないと思っていたら、ある晩凄い声で鳴いて、庭に出てみると徘徊のおばあさんがいたことがあった。番犬として最初で最後の手柄であった。引張ることを除けばよその犬に向かって吼えたり威嚇したりしないので散歩は楽だった。狂犬病の予防注射の会場に連れて行ってもむやみに吼えたり興奮したりしないのでさっさと済ますことができた。
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想い出はたくさんあって尽きない。が、僕の中では勝手な一つの思い入れがあった。転職を決意したとき、ジョエルが生きている間はそこで働くことにしようと思っていたのだ。慣れずにつらいと思ったときも不安に思ったときも家族には一切語らずに、ジョエルと散歩しては気分転換したり気を紛らしたりしたこともあった。暑い日も雪の積もった寒い日も自転車で散歩に連れて行った。今は散歩の距離も短くなったが、かっては随分遠くまで一緒に行ったものだ。世良田の東照宮や八坂神社の方まで行ったことがある。僕の定年までは未だ大分ある。ジョエルの死は早過ぎだ。これからは一人で道を踏みしめて行くしかない。まだまだ辞めるわけには行かないから。
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昨日遺体は一輪車の上に筵を敷いてその上に載せ、頭をタオルで覆って、さらに筵を掛けられたそうだ。そのときはすでに死後硬直していたらしい。
今日埋葬が済んだ。先祖の墓の南のこれまで家で飼っていて無くなったペット達が眠っているサクラの木の下の墓地に埋葬したとのこと。線香をたくさん供えて貰った。週末に線香を上げに行こうと思っている。
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