ニュース

バンパイヤ人気

日経新聞の記事によれば、アメリカではハロウィーンのコスチュームにバンパイヤが大人気なのだそうだ。

先日観た「インタビュー・ウィズ・バンパイヤ」つながりでとても興味深く感じたのでピックアップしてみた。

小説の「トワイライト」シリーズとTVドラマの「トゥルー・ブラッド」が火付け役となったそうだ。

「トワイライト」は昨年映画化されており、11月下旬には2作目が公開されるとのこと。

【参考】

Nikkei Net http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091108NT1G0501L107112009.html

「バンパイア」米を席巻 ハロウィーンでも主役に

 米国で「バンパイア(吸血鬼)」が人気を集めている。小説やテレビドラマで「バンパイア物」がヒットを連発。ハロウィーンの仮装パレードでもバンパイアが街中を席巻した。歴史的に不況になるとブームが到来するとされ、厳しい現実からロマンチックな世界に逃避したいという米国民の願いが根底にありそうだ。

 赤い血を滴らせた白塗りの顔に鋭い牙――。10月31日のハロウィーン当夜。200万人超が参加した全米最大級のニューヨーク市での仮装パレードは、さながらバンパイアの集会となった。

 年ごとの世相を反映するハロウィーンの仮装。昨年は米大統領選の投開票を目前に控え、オバマ候補(当時)らの仮装が目立ったが、今年はバンパイア一色。「仮装のコスチュームが飛ぶように売れた」。全米小売業協会(NRF)の広報担当、キャシー・グラニスさんは驚きを隠せない。(ニューヨーク=清水石珠実)(01:44)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本人の国民性調査

最新調査(第12次の2008年調査。1953年から5年ごとに実施されている。)の結果のポイントを見ると、過去10年から15年間は何か鬱積した思いを持って人々が生きてきたことが分かる。

少なくとも、自分が青春時代をすごした1980年代と現代のそれぞれの若者の意識が大きく違うことが調査結果で示されている。特に日本経済への評価が1993年以降で急激に低下している。

最新調査結果によれば、その評価はやや良い方に上向いて来た傾向を示すが、過去と比べると依然低迷したままだ。恐らく現在の中国人のそれと比較したら大きく違うことだろう。

この結果を眺めていると、人こそが資源であり資産である日本は、その国民の元気を引き出せないままで未来に向かうとすれば、経済の復活はまだ遠いか、あるいは最早やってこないかもしれないと感じる。

<調査結果のポイント>詳細は後述のURL参照方

1  低迷を続ける「日本経済への評価」

2  「いらいら」した若者の増加

3  職場の人間関係を見直す動き

4  精神的な充足や心のよりどころの模索

5  選挙を通じた意思表明への志向

 「日本人の国民性調査」は、統計数理研究所が行っている統計調査の一つで、日本人のものの見方や考え方とその変化を、社会調査によってとらえようとするものです。
 国民性調査のねらいは大別して二つあります。第一は、長期にわたる継続質問項目によって、日本人の“ものの考え方”の変化の様相を明らかにすることで、第二は、従来との継続を図りながら、将来の新しい動向を探り、それに備えることです。このため毎回、新しい調査項目や必ずしも継続的に調査はしていないが過去に質問したことのある項目も調査しています。

続きを読む "日本人の国民性調査"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

足利事件の菅家被告釈放に思う

事件の経緯をみると、2000年7月に最高裁がDNA鑑定の証拠能力を初認定し、上告棄却を決定し無期懲役を言い渡したところに特に非常に大きな問題があったと思う。勿論その以前の経緯にも問題があった訳であるが、上記経緯においては、「裁判官が最新の科学技術の精度を十分に理解できないまま心証を形成して判断した」という点を指摘したいのである。誰かが裁判官をミスリードしたのかもしれないが、結果的に裁判所の判断が間違いであったことは明白となった。菅家氏の人生の損失損害に対して今後どのような補償がなされ、また、真犯人に対してどのような制裁が下るべきかと考える。

裁判官も人間であり過ちを犯すだろうが、超難関の試験と訓練を経て選ばれた人間であれば、常人に比べて過ちをほとんど犯さないということでなければ裁判所は信頼されないだろう。報道によれば、1991年当時のDNA鑑定は血液型鑑定と組み合わせても結果が一致する確率は1000人に1.2人だったという。そのような低い鑑定精度のものを決定的な証拠として採用し、被告や弁護人の意見には耳を傾けなかったとうことは、一般人の常識的な判断にも劣る判断能力だったということではないのか。

加えて人が人を裁くという場面において、裁判官が被告本人と向き合う姿勢に欠けていた様に思われる。無実の人から本当の悪人までいろんな被告がいるだろうが、裁判官としてはそのような人を見分ける力も必要ではないのかと思う。高所から見下ろし、警察や検察官の主張に偏重するようでは正義に基づき判断する資格はない。

自分としては冤罪を負わされることは最も恐いと思う。特に電車での痴漢行為に係る冤罪は他人事ではなく、自分もいつ何時巻き込まれるか分からないものだ。映画「それでも僕はやっていない」を観ても思ったが一度疑われたらそれでもうお仕舞いだ。今の警察や司法の仕組みの中に真の正義などないと考えておかなくてはならない。被告という弱い立場に追い込まれないように予防することしか手は無い。そのようなことが我が身に起こってしまったら無駄な抵抗は止めて諦めるしかないだろう。

痴漢等の痴(恥)罪ではなく知財(知的財産権)に関する裁判に関しても、最先端の科学技術である特許の訴訟において、文科系出身者である裁判官は正しい判断ができるのかという問題が、特許関係者の間では早くから指摘されている。これもまたいつか自分の身に降りかかってくる恐れが無いとは言えないものだ。例えば判決で特許権が無効とされる場合には、特許権者(原告)側としてはガックリすることだろう。(一方被告側は当然喜ばしいことだが。)そのようなケースが多いことは統計で明らかにされている。仮に、進歩性の議論となったときに、裁判官が特許発明の特有の効果を低く評価するとか、あるいは当業者であれば技術的理解に争いは無いときに、明細書の記載が不備で特許法に違反しているとか、の議論になり敗訴することはかなりの確率で起こりうると思わなければならないだろう。高い料金と長い時間を掛けた末に、特許庁からお墨付きを与えられた権利であっても、裁判で司法関係者の弁護士や裁判官にかかれば「屁」みたいなものとして扱われると覚悟しておかなければならないのである。企業でそのような敗訴事案に関わっていた者たちは業務及び管理能力不足の責任を取らされることになろう。減点評価に曝されるのであれば特許権等は保有しているだけに止め、競合他社に対して決して手を上げないことだと萎縮する者も多くなろう。そのような適正な権利保護が図れない形骸化した知財管理など何の意味も持たない。

先般、米国企業の人と話したが、たとえば特許係争の問題は弁護士や訴訟に高額の費用を掛けるよりは、当事者間で協議して解決するという。現実から乖離した法律の運用が続けば司法制度も形骸化、空洞化することだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハーフウエートタイヤ

「原点からの飛躍」日経2009/5/6朝刊1面より

環境適応型の自動車の時代へ向け、タイヤメーカーも燃費向上につながるタイヤの超軽量化に活路を見出す。

ゴムの量を減らすのは簡単だが、強度が落ちては車体を支えきれない。

「タイヤとは何か」。原点を探る中で見えてきたのは「ゴム以外にもあらゆる材料を試す」というフロンティア精神の大事さだった。

************************

経済成長が右肩上がりの中では見過ごされてきた課題が、経済危機の中で注目を集めるようになってきたようだ。

考えて見れば車輪というものはこれまでも木とか鉄とかいろんな素材で作られているし、ゴムでなければいけないというのは供給者側の一方的な議論又は技術開発の怠慢であったのかもしれない。

もっとも新技術開発に際して、昨今は製品のリサイクルという概念も大事になっている。ハーフウエイトタイヤの試作品はこれまでの作りっぱなし、売りっぱなしで良かったものでは仕様として不十分といわれる恐れがある。当初から3R(リデュース、リユース、リサイクル)も同時に満足するハイスペックな製品開発が要求されるのではないだろうか。

しかし、新聞記事の文章を引用すれば、「トンネルを抜けた時には社会が変わっている。」ことだろう。

その研究開発の成果に大いに期待したい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

自殺者3万人10年連続

NHKニュースによれば昨年度は33,000人とその前年と前々年の32,000人台から増えたとのこと。

うつ病やその他の病気の人が多いとのこと。

報道のたびに思うが、大変な人数だ。

交通事故による死者は1万人を切るほど減少したが、一方で自殺者は一向に減らない。

そればかりかイラク戦争による米軍死者や最近の四川大地震やサイクロン天災による死者などよりはるかに多い。毎年毎年いくつも戦争や災害が起こっているのと同じだ。

国民の安全を守れない政治の責任は思いと思う。少なくとも生活苦を原因とした自殺者は社会的に救済して防止できる仕組みを作るべきだろう。

日本という国は、自分たちや自分の子供たちが安心して暮らせる国なのか、最近の政治の無策ぶりや公務員のいい加減さを思うと、将来に対して希望が持ち難い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秋葉原通り魔事件その2

日本経済新聞の社説紹介20080610

犯人の犯行前の書き込み等が公開され、それを読むと全く同情できない人間だと思う。また、犯行に使ったナイフ等もおよそ普通の人間の考える範囲を超えている。殺人鬼に化したとしか言いようも無いだろう。

しかし、何が彼をそこまで追いやったのか?また、以下の社説にもあるように、そのような異常な無差別殺傷者の行動を抑止するような仕組みは構築できないのか?という問題がある。

特に、殺傷能力の高いナイフを緩やかな自主規制程度で販売するという行為は許されるべきではない。そのようなナイフの販売や移転は極めて厳格な規制下におくべきであろう。

***********************

社説2 無差別殺傷は防げないのか(6/10)
 「世の中が嫌になったので、人を殺したかった。誰でもよかった」。理不尽極まる、そんな動機で無差別に人を殺傷する犯罪がまた起きた。被害者や遺族の悲しみ、怒りを思えば、言葉もない。

 東京・秋葉原での凶行を前に、無力感を覚えるのは「こうしておけば防げた。被害を小さくできた」という可能性を見いだしにくいことだ。

 しかし立ちすくむ場合ではない。警察は、犯行の経緯を調べる中で、無差別殺傷を抑止するのに少しでも効き目のある手立てを探らなければならない。殺傷力の高い凶器のナイフに、犯人は、どう目をつけ入手したのか、また人が大勢集まる場所に警察官を目立つように配置していたらどうだったのか――といった警察の力が及ぶ点に、まず検証が要る。

 犯人の心理の分析も欠かせない。「世の中が嫌になった」心理状態が何を契機に「誰でもいいから人を殺したい」に至ったのか。心理学や犯罪学の専門家の手を借りて解明してもらいたい。

 群衆めがけて自動車で突っ込んだうえに刃物で人に突きかかる凶行は、1999年9月に山口・JR下関駅構内で起きた事件をなぞったように思える。「何をやってもうまくいかないから、人を殺したかった」。犯行直後に述べた、この動機というか心理状態も似通っている。

 秋葉原の犯人は、下関の事件の3週間前に、東京・池袋の繁華街で通行人を襲った男と犯行時の年齢がほぼ同じだ。男は、「むしゃくしゃしていて、誰でもいいから殺そうと思った」と言い、自宅に犯行をほのめかすメモを残していた。今回の犯人の供述内容や、ネット掲示板に携帯電話から犯行を予告するメールを送りつけていた異様な行動は、おぞましいほど相似している。

 99年末に掲載した、1年を振り返る本社の社説は次のように書いている。「無差別殺傷事件で逮捕された若者はそろって、自身の社会的な挫折が引き金となって募った『世間への恨み』を動機として供述した。時代は再挑戦が可能な開放的な競争のしくみと、挫折者の恨みを和らげ社会の信頼を維持する多様な安全網を必要としている」

状況は今も変わっていない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秋葉原通り魔事件

TVで「秋葉原通り魔事件で3人死亡」の速報テロップを初めてみたとき、家内と相談してすぐ一人暮らしの息子に電話した。

やや不機嫌そうな声で(しょっちゅう電話で近況を尋ねるためと思われる)電話に出たらしいが、無事を確認してほっとした。

次は会社のメンバーが気に掛かったが、これはさすがに休日でもあり電話するのを躊躇して止めた。

その後ニュースの続報で事件の状況が分かってきたが、驚くばかりである。

死傷者多数の大惨事となって、今日のニュースでは犯人(25歳男)の犯行の計画性や動機が焦点になっている。

しかし、このような他人を巻き添えにして自分自身も破滅に追いやる若者が多く出現することに、僕としては彼ら自身だけでなく、彼らを取り巻く社会環境にも問題があるのではないかと思う。

現代日本社会では、人生や社会の中における価値観の多様性が失われて、限られた人生の選択肢しかないように感じる若者が増えているのではないだろうか。予定していたコースから一度でも外れると、もう自分はそのコースには戻れないとか、自分一人の力ではもはや将来に希望は持てないとかいう風に考えてしまうのではないかと思う。違う別の道があるかもしれないことに思いが至らないことに悲しさを感じる。

自分の子供たちも、彼ら事件を起こした若者たちと同じような世代であるが、親として子供たちに社会の多様性を教えてきた自信があまり無い。自分は子供たちがある程度大きくなってから(思春期の前後頃だろうか)はとにかく仕事に精を出し、ときに家族サービスすることだけで生きてきた。

いじめによる登校拒否等の話など学校に問題があるとは思いながら、自分自身を振り返り、親とはあまり関係なく、学校に通い勉強やスポーツをやって育ってきたのだからと、多くは学校や塾任せでとにかく勉強しろよと子供たちに言いながら接してきたように思う。よく言えばわが子を信じて放任してきたのである。

ところが、教育指導要領によるこれまでのゆとり教育などで子供たちの学力は相対的に低下してきたと報道されるようになった。学校も自分が学んだ頃の昔とは違っているのだと後から気づいた。子供らの学力劣化という代償を支払わされた上で、そのような国の教育システムの不備を開示されて、誰が責任を取るんだ、一体日本はどうなっているんだと思う。

家内は、勉強ができなくても、それなりに生きていく世界があると楽観的に考えていた。僕は反対に勉強ができて良い学校に行って、良い就職をすることで幸福になれると考えていた。

僕のような親の考えを刷り込まれた子供は勉強で挫折した場合、現在の価値観の多様性に乏しい日本の社会の仕組みの中では、最早未来への自分の道は閉ざされてしまったように錯覚するのではないだろうか。

一方、家内のようなアプローチで、今の社会で本当に幸せをつかめるか?

社会的価値観と個人的価値観は違う。前者は押し付けがましいものである。人生経験も無い若者は個人的価値観など見出せないだろう。どうしても非多様的な社会的価値感に押し流されてしまうのではないだろうか。すると挫折を感じた若者は自立の機会を見出せないということにならないか。

多くの若者にとって、自分は何をやりたいのか、自分は何ができるのかということははっきりと分からないのではないかと思う。そのような前提で若い内にはいろんな失敗とやり直しが許される社会を提供するのが大人の務めだと思う。大人が、若者に対し、性急に経済価値や効率を求めたり、あるいはそのための制度や階級を押し付けることを止めるべきなのではないか。

さらに、人は一人では生きて行けない動物である。一方で都会では地域共同体が破綻して、アパートの隣人の素性すら分からないで一緒に暮らすのが常態となっている。不完全且つ不安定な個人が隔絶された空間に閉じ込められている。防犯対策としては防犯カメラで監視するくらいの発想しか出せような不安全な環境を作り、そこで互いに見知らぬ人々が暮らしている訳である。むしろ人と人とのつながりを希薄にした非干渉システムの方がより良い住環境とすら言える社会になっている。こういうことも本来はおかしいと思われるべきであろう。

まとまりが無いのでこの辺でやめるが、今回の事件では、その社会背景を正しくとらえて、修正できるものは早急に修正していかなくてはならないと思うものである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

海自の体質

イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」との衝突事故に関しては、何故あたごの隊員たちは衝突直後に清徳丸乗組員(吉清さん親子)の救助活動をしなかったのだろうと疑問に思ってきた。今や二百キロメートル以上にも捜索範囲が広がっている。

防衛省の不祥事続きにこれまで知らなかった内部事情等が少しずつ明らかにされてきているが、今日の毎日新聞の記事はまた違った観点から自衛隊全体を批評しているので書き止めてみた。

毎日新聞「読む政治」20080302

「伝統墨守 唯我独尊」

防衛省内で海自はこう揶揄される。旧海軍の伝統を重んじる一方、引き継いだエリート意識が鼻につき、外部社会への配慮が足りない気質を皮肉ったものだ。

「用意周到 動脈硬化」 陸上自衛隊。

「勇猛果敢 支離滅裂」 航空自衛隊。

自衛隊発足時、陸自は旧陸軍との断絶が意識された。一方、海自は急海軍お組織や手法の多くを引き継いだ。

幹部自衛官と一般自衛官との上下関係はその一例だ。陸・空自が階級が低い部下にも責任を分担させる傾向なのに対し、海自は旧軍時代の名残で幹部と一般自衛官との間に「天と地ほどの違いがある」(幹部)という。

かって「坂の上の雲」を読んだときには昔の日本軍の愛国心や規律・統制に感動したこともあった。ただ、その成功体験が第二次世界大戦での判断ミスや最終的な敗戦に至った原因の一つであるとも言われる。

その後シビリアン・コントロール(文民統制)の重要性が認識されて大きく変革されて来ていたのではないのか?今の自衛隊は全くコントロールされていないように思われる。かって仮想戦争で自衛隊はハードはあってもソフト不全で機能しないとの小説やら映画やらもあったが、正にその通りであろうと思われてならない。自分たちの任務を忘れ、指示系統も不明確、緊急時どころか通常の連絡網も心許無い状況では、仮想敵と戦う以前の体制ができていないということになるだろう。平和ボケならず、体制崩壊である。

防衛省については優れた活動もやっているだろう。今後はそのような情報開示やニュース発表もして国民を少し安心させて貰いたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)