NHK「爆笑問題のニッポンの教養」で刑事訴訟法の権威という後藤昭氏が登場した。裁判員制度についてに自分の認識を新たにされた。
この番組を観るまでは爆笑問題の田中氏と同じような関わりたくないという考えが強かったが、それじゃいけないのかなと説得されたような気がする。
先日某新聞の書籍紹介で「裁判員の教科書」についての記事を読んだ。著者は後藤氏ではないが一度読むべき本だと思ったものだ。今アマゾンの欲しいものリストに入れてある。(買っただけで未だ読んでない本を片付けたら)読んでみようと強く思っている。
それから、裁判官に関して「慣れから来る危険」ということを指摘していた。裁判官ゆえに間違うという危険だ。これまで裁判官に丸投げしていたつけが自分たちに廻ってくるリスクがあるという指摘は、妙に説得力があると感じた。
以下は備忘録。
1880年「治罪法注釈」出版。「チザイホウ」ときいて「知財法?」と勘違いしてびっくりしたた。今で言う刑法だったか。この本の出版は大日本帝国憲法の公布より早いのだそうだ。
裁判員になりたくない理由。傍観者でありたい。関わりたくない。他人を裁きたくない。責任を負いたくない。
裁判員裁判では専門家同士の馴れ合いが無くなる。
調書は警察が再構成した物語。法廷での証言の方が事実や本音が聴ける。
「無罪推定」...(「推定無罪」という映画があったが、無罪推定が専門用語としては正しいか?)
以下、後藤教授の説明。
「裁判員は、検察官と弁護士のどっちのストーリーが本当らしいかではなく、検察官が言っていることが本当に疑いがないほど十分に証明されているかどうかを判断するんですよね。」
「どっちかと言えば犯人らしくても、やっぱり疑問が残れば、やっぱり無罪にしなきゃいけない。」
「裁判官っていうのはいろいろ事件を経験してますよね。だからね、事件っていうものをパターン化して考えるんだと思う。」
「99.9%が有罪になっている。1000人に一人しか無罪にならない。有罪判決に慣れている。無罪は特殊なこと。」
(起訴された時点でほとんど有罪が決まっている。)
「裁判官は真面目だけど、たくさん事件を見ていると、被告人はこういう風に弁解するものなんだみたいに、素直に見れなくなる。言ってみれば、慣れから来る危険ですよね。」
「裁判員は経験がないからいい。」
「裁判官だけでやるよりも、裁判員が入ってやる方が(無罪推定が)活かされると思います。」
『疑わしきは被告人の利益に』
取調べの可使化
取調べは密室でやっている。ビデオ録画せよという話。
「裁判員の中からその録音・録画をした方が良いという意見が出てきているんですね。」
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「法律っていうものが自分たちのルールだってみんなが思っているかどうか?私、日本ではあまりその感覚は無いんじゃないかって。法律と自分たちのルールとは違うもんだと。仲間内で解決すべきときに法律というところで訴えるということは仲間内のルールに反するんだっていう。法律と自分たちの生活を分けて考えてる。二重構造があると思う。それが一番問題だと思う。」
「法律というのは自分たちのルールだから。」(自分たちが選んだ国会議員が法律を作っている。間接的に自分たちが法律を作っている。)
太田「欧米では長い歴史があって、そういう認識になっている。日本人には無理じゃないかな。」
「欧米においても、どこかに始まりがある訳で、日本でもどこかで始めない限りはそうならない。」
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