赤ひげ診療譚_山本周五郎
黒澤明監督作品「赤ひげ」の原作ということで興味深く読んだ。どうしてこれを映画にしようと考えたのかとか...
映画の中のエピソードには含まれない話も、翻案されて違った内容になっている話もあるが、赤ひげの人柄や信条や思想、それに保本登が人間として成長していく姿は同じだった。
著作者山本周五郎の社会の底辺で暮らす人々を見る目は温かくもあり、一方では極めて冷静だ。
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「徒労に賭ける」から:
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無知からきているとすれば、少なくとも貧困と無知を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。
「そんなことは徒労だというだろう。おれ自身、これまでやって来たことを思い返してみると、殆んど徒労に終わっているものが多い」と去定(赤ひげ)は云った、「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、-だが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富み栄えている者よりも、貧困と無知のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来の希望が持てるように思えるのだ。」
人間のすることにはいろいろな面がある。暇に見えて効果のある仕事もあり、徒労のようにみえながら、それを持続し積み重ねることによって効果のあらわれる仕事もある。おれの考えること、して来たことは徒労かもしれないが、おれは自分の一生を徒労に打ち込んでもいいと信じている。そこまで云ってきて、急に去定は乱暴に首を振った。
「おれはなにを云おうとしているんだ、ばかばかしい」そしてまた髯をごしごし擦った....
「鶯ばか」から:
貧しい人たちはお互い同士が頼りである。幕府はもちろん、世間の富者もかれらのためにはなにもしてはくれない。貧しい者には貧しい者、同じ長屋、隣り近所だけしか頼るものはない。しかし、その反面には、やはり強い者と弱い者の差があるし、羨望や嫉妬や、虚飾や傲慢があった。そのうえ、いつもぎりぎりの生活をしているため、それらは少しの抑制もなく、むきだしにあらわされるのが常であった。
-いつもは一と匙の塩を気楽に借りる仲でも、極めてつまらない理由、-たとえば、こっちへ向いて唾をしたとか、朝の挨拶が気に入らなかったとか、へんにつんとしていた、などというたぐいのことで、いっぺんに仇敵のように憎み出すのである。かれらがお互いに、自分を捨てても助け合おうとする情の篤さは、生活に不自由のない人たちには理解ができないであろう、と同時に、彼らの虚飾や傲慢や、自尊心や憎悪などの、素朴なほどむきだしなあらわしかたも、理解することはできないに相違ない。
「氷の下の芽」から:
-罪を知らぬ者だけが人を裁く。
-罪を知った者は決して人を裁かない。
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新潮文庫の目次から
狂女の話
駈込み訴え
むじな長屋
三度目の正直
徒労に賭ける
鶯ばか
おくめ殺し
氷の下の芽
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