桑田真澄講演を聴く(上)
C社主催のビジネスセミナーに参加した。基調講演として桑田氏の特別講演「試練は人を磨く」があった。氏の実体験に基づく話はとても興味深く、人柄を理解する助けとなり、また今後の生き方の参考になった。
桑田氏は胸板厚く、公演中の身振り手振りのときに手がでかいな、指が長い手だなと感じた。氏は幾分謙遜調で語ったが、やはり生まれながらの素質に加え、試練の度に起き上がるという「人一倍の努力」があって今日に至っていると思った。
以下はそのメモである。
2歳から野球を初め今年2008年4月に引退した。
私の人生哲学というかポリシーは「世の中には表と裏または光と影がある。」今日は影の部分について語ろうと思う。
私は挫折、挫折の人生だった。落ちこぼれだったり、いじめられたりもした。
誕生日が4月1日であり年度入れ替わりが4月2日であることから、小学校入学当時、同級生とは成長においてハンディがあった。先生の言うことが全く理解できず、テストでも何を問われているのかが全く分からなかった。テストは全て零点だった。
ただ、野球やソフトボールは抜群に上手かった。小学3年のとき、野球チームに入った。しかし、そこで初めて縦社会の洗礼を受けた。上級生からグラウンド掃除等をやらされたが、それはさして苦ではなかった。が、監督やコーチが居ないところで6年生や5年生からいじめられた。練習だと称して至近距離からボールをぶつけられた。結局それで野球を辞めた。
勉強も駄目、唯一上手かった野球も辞めて、後はグレるしかなかった。
小6の時、オカン(大阪だから)から「あんたどうするの?」と言われた。
「PL学園に行って優勝して、早稲田に進学してそれから巨人に入る。」
「あほ、勉強でけんならPLに入れんし、早稲田はもっと行けん。」
「野球の特待生になってPL入る。」
「特待生は抜群に上手でないとだめ。」
***
中学生になって真剣に勉強開始した。学年230人中、初めてのテストで220位になった。ビリから10番も上がったことで、「自分はやればできる」と思った。それから、先生やできる同級生にいろいろ尋ねたりしながら勉強して、少しずつ順位が上がっていった。卒業するときには成績が2番まで上がった。
「何で勉強がこんなに嬉しく楽しいのか?」努力すること、そのものが楽しかった。勉強の仕方を、努力の仕方を探し回った。努力しようとしたことがない。それが楽しかったから。
中学時代の野球では「敵なし」。打てば2塁打以上が当たり前。シングルヒットで1塁ベース上に止まるのは納得できなかった。投げれば外野にまでボールが飛んでいかない。PLへ特待生入学となる。人生は楽しい、前途洋洋というやつ。
入学式前に清原と出会わされた。「二人の力で甲子園で優勝するんだ。」握手したとき自分の目線は清原のベルト辺りで、でかい男だと思った。しかし、自分は自信たっぷりだった。でかいだけだろうと。
ユニフォームに着替えて練習を始めて驚いた。見たこともないような打球。守備も上手い。足もある。
やがてコンプレックスを感じるようになった。そうなるとどんどんどん野球が下手になっていった。ピッチャーで投げると打たれ、バッターで打つと内野を超えられない。ホームシックになる。5月にオカンが面会に来たときPLを辞めたいと言う。
「今なら、やめて別の高校に行って、そこで甲子園をめざせる。」
オカン「小学校の時から目標にしてた学校でしょ。3年間やりとおせ。」
「レギュラーだけが野球じゃない。俺は俺らしく...」
中学時代にやった努力が再スタートした。 このとき桑田15歳。
***
長くなったので次回につづく。
桑田氏といえば、もう一人「桑田佳祐」氏にもたいへんお世話になっている。曲の大ファンなのである。それだけ...
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