11月19日は人生でも忘れられない一日になった。
午前5時前に突然起こった右脇腹の激痛はこれまでに体験したことがない耐え難いものだった。
暫く様子をみて痛みが治まるのを待とうと高を括っていたのだが、痛みが治まるどころかじんじんと波打つように痛みが増してきた。
そのうちにどうにもじっとして居られなくなった。横になっていても駄目、立っても駄目、痛む箇所を手で押さえるとちっとはましかという程度だった。呼吸も乱れてきた。腹痛に耐えようとするには腹に力を入れなくてはならず、正常な呼吸など出来なくなった。
時はまだ未明。病院に行くにも診察開始まではあと4時間くらい待たなくてはならない。当然会社は休まなくてはならない。今日は某企業担当者と契約書合意の最後の詰めを予定していた。部下の自己申告に対する面談もある。午後からは来客予定もある。いろんなことが脳裏をよぎった。
しかしまずかみさんに連絡しなくてはならないだろうと思った。しかし、時刻はまだ6時になっていない。昨日は休みを利用して東京まで娘と実妹を乗せて車で来て帰り疲れただろう。今日は仕事だから起こしては可愛そうだと思った。
携帯電話でとりあえずメールを作成することにした。1通はかみさん宛て、もう1通は会社の部メンバー宛だった。メール作成中も痛みは襲い掛かる。目の焦点がずれるし、手元も狂う。1通のメールを作成するのにえらい時間がかかってしまった。
かみさんにはとにかく腹部に痛みが起こって我慢できないくらいだと伝えた。会社の方へは腹痛で医者に行くために今日は休むこと、契約書案の最新版及びそれに掛かる付属契約や確認書等が自分の机の上のファイルにあるからコピーを取って担当役員理事等に配付すること、詳細は自分宛の相手方企業からの直近のメールを参照すること、それに午後来社予定の企業にはアポ変更とすることを伝えた。
これら2通のメールを作成して一時保存した。そして6時半になったところでかみさんに発信。7時過ぎたところで会社の部のメールアドレスへ発信した。この頃は額に脂汗が浮かんで来たのが分かった。
かみさんからは驚いた様子で直ぐ電話が来た。救急車を呼んで直ぐ医者に行けと言う。しかし早朝に社宅内に救急車を呼んだら大騒ぎになるから嫌だと拒絶した。電話で話すことも痛みが襲ってくるため息絶え絶えになる。かみさんは焦って大丈夫かと訊ねる。もう2時間近く我慢してるからまだ大丈夫だ我慢出来ると答えた。
かみさんから社宅近所の救急病院の情報がメールで送られてきた。そこに電話してタクシーで行けと言う。了解して、救急外来があるという病院に電話を掛けることとした。が、1軒目は救急担当の医師がいないので8時半の通常外来に来てくれと言われた。ふざけんな”!と言いたかったが、ぐっとこらえて次の病院に電話した。女性が出て症状と年齢を尋ねる。こちらは苦しんでいるのに悠長な応答ぶりだと感じた。そして救急外来だと応急処置しか出来ないので、精密検査を受けるためには通常外来が開く8時半に来てくれと言った。こちらは我慢できないので応急処置でいいから今から行きたい、病院はどの辺りかと訊ねた。救急外来とご丁寧に通常外来の受付まで教えてくれた。
身悶えしながらも着替えてタクシー会社に電話して迎えに来るように頼んだ。「分かりました。暫く待ってください。」いうので外に立ってしばし待っていたら、生憎そのあたりの空車が見付かりませんとの返答。「分かった。もういい。」といって電話を切り、近くの道路に出て行った。途中出勤中の会社の同僚とすれ違ったり、見掛けたりしたが、挨拶を交わしただけで異常には気付かれなかったようだった。
1台目のタクシーは手を上げるのが遅すぎたか止まらずに行ってしまった。会社の同僚が乗ったバスを見送って暫くして2台目のタクシーが来たので乗り、○○病院まで至急頼むと言った。時刻は7時を少し過ぎていた。
タクシーの運転手は少し尋常ではない様子に気付いたのか、道を急ぐ気遣いを見せてくれた。しかし、角々でどちらに曲がっていきますかと訊ねるのは余計だった。バス通りに出たらちょうどバスの後ろに付いてしまった。バス停毎に停車するが、車幅があるしその横を通って対向車線の車と離合も出来そうにないので、バスの発車を待つしかなかった。運転手は申し訳なさそうに仕方ありませんからと言っていたが、あるところで猛然とアクセルを噴かしてバスを抜かした。それを見届けたところで暫く気を失ったかもしれない。目を開けたら病院に付きましたと言われた。料金を払い、一応領収書を貰って病院の中へ入った。
1階受付ホールは人が2,3人いた。入って直ぐ左手に警備員らしい男性がカウンターの内側に立っていたので、救急外来はどっちかと訊ねたら、ここですと言う。びっくりして男の顔をもう一度見たが、どう観ても警備員だった。さっき電話した者ですがというと、名前を聞くので名乗ると、お待ちしてましたようなことを言われた。保険証を出して、問診表に必要事項を記入してくれと言うのでその通りにした。18番窓口の前のベンチで待っていてくださいというのでそこに移動して腰掛けた。腹痛は一向に治まらず、何とか早く処置してくれないものかと願った。右手後ろから受付の男とは別の男が近づいてきて保険証をお返ししますと手渡してくれた。自分の保険証であることを確認してポケットにしまった。それから暫くしてやっと18番の奥から看護婦が出てきて名前を呼ぶので返事して付いていった。「腹痛はどのあたりか?どんな種類の痛みか?」と尋ねるので、「絞ると言うんじゃなくて、どちらかというと刺すような痛みと言うのでしょうか。」と答えた。次に看護婦は僕の腰より少し高い背中のところをトントンと叩きながら「ここは痛くないか?」と言うので、「そこは痛くない、前の方の胃の横あたりだ。」と説明した。体温計を手渡され、脇に入れて測ってくれ、また児童血圧計で血圧も測って待つようにと指示されたのでその通りにした。体温は36℃の平熱だったが、血圧は90-166とこれまでに出たことが無い高い血圧数値だった。そのまま待つこと5分以上だったろうか。やっとさっきの看護婦が戻ってきて、また18番前のベンチに戻って待てと言った。
ベンチに戻ったが、腹痛がひどいので前かがみになって俯いていた。すると掃除のおばさん二人が交互にやって来て一人目はワイパーで床を掃きに来て「すみませんね。ちょいと足を上げてください。」というので座ったまま腹筋を使って両足を上げた。二人目はモップで床を拭きながら近づいてきたので、今度は席を立って拭き終わるのを待って戻った。
そうこうしているうちに時刻は8時となった。もう3時間もこの苦痛に耐えているんだと思った。するとさっきの看護婦が出てきて、僕の前を通っていった男の人についていってレントゲンを取って来てくれと言われた。黙って付いていくとエレベータ前に立ち止まった。2台あるエレベーターの手前のものを待っていたが、奥のエレベーター前に紺色の丸首の上下ユニフォームを着た医師らしい青年がやってきて、みんなと軽く会釈を交し合った。僕の前のエレベーターの扉が開いたので乗って2階へ行った。僕が付いていった男の人はレントゲン技師だった。後に分かったが、その人はCT撮影の担当者でもあった。
レントゲン撮影は立った状態と仰向けに寝た状態で腹部を撮影した。撮影後現像が出来るまでベンチに腰掛けて待っていた。さっきのレントゲン技師が現像が終わったフィルムが入った大きな茶封筒を持ってきてこれをさっきの1階の窓口まで持って行ってくださいと手渡そうとしたときだった。僕は急に気分が悪くなった。むかついて口の中の舌の付け根あたりからじんわりと苦い唾液が出てきた。茶封筒を受け取るどころではなかった。「トイレ。トイレはどこでしょうか?!」顔面蒼白だったと思うが、必死の僕の質問に、その技師はちょっと引いた感じで「トイレは1階です。この封筒も...」技師の発言が終わらぬうちに僕は階段から1階へ駆け下りた。技師が「これは僕が持って行っておきますから...」と後ろから言っているのが聞こえた。
トイレに駆け込むと便器の上に顔を置いて、何とか戻そうとしたのだが、透明なよだれのようなものしか出てこなかった。暫くそのまま待機したが、気分悪さも退いたようだったので。手を洗ってトイレを出て、元の18番の前のベンチに腰掛けた。
まもなく看護婦が名前を呼ぶので18番に入っていくと奥の方の診察室に入るよう指示された。そこにはエレベーター前で見かけた医師が腰掛けて待っていた。机の前にレントゲン写真が2枚張り付けてあり、しげしげと眺めていた。僕が入室するといすに座れと言った。どのあたりが傷みますかと訊ねる。やはりベッドに横になってもらいましょうというので、仰向けになってズボンを下ろした。指先で触診やトントン叩いたり、聴診器を当てていた。下腹部の陰毛の生え際近くまで聴診器を当てられたのは初めての経験だった。
結局痛みは何が原因かは説明はなかった。とりあえず血液検査と痛み止めが入った点滴、さらにCTMRI撮影をするというので、看護婦について処置室へ移動した。
点滴は右手首の少し上の静脈に針が刺された。点滴液の入ったバッグをみるとずいぶん時間が掛かりそうだとうんざりした。しかも腹痛はまだ少しも緩和していなかった。
ベッドに横になって点滴を受けていたが、CTMRIを取るのでそのまま立って移動してくれと言われた。点滴用のキャスター付きスタンドを押しながら撮影ルームまで移動した。
かって「受身の出張(出張には責めの出張と受身の出張の2種類があるとしていた)の時には点滴をしながら訪問してお詫びするのが相手企業の同情を引いてよいかもしれない。」などと冗談を言っていたことがあったがまさにそのような様子となっていた。
CTMRIは東芝の機械だった。このところ東芝の医療機器は技術躍進しており、撮影時間の短縮等で患者負担を減らしたり出来たことから、GEや他の医療機器メーカーより受注を伸ばしているとの新聞記事を最近読んだことがある。しかし、どのメーカーの医療機器も高額なもので、投資費用を取り戻すためにはなるべく多く使用することが必要であることは同じだろう。そのためには多くの患者を検査するべきだ。今回の自分の場合は必要なものだろうが、それならレントゲンは不要ではなかったのかなどと思った。
無事CTMRI撮影が終了したところで、看護婦が尿を取ってきて来てくれと紙コップを手渡した。先ほど気分が悪くなって飛び込んだトイレに再び、今度は点滴用スタンドを転がしながら入って行った。二つ並びの便器の隣に喧しいおじんが痰を吐いたりしながら用を足すのや己の腹の激痛やらでなかなか尿が出なかったが、やっと搾り出すことが出来た。尿は少し濁っており、少し赤いものも混じっているように見えた。大分時間を要したか看護婦が名前を呼ぶので慌てて紙コップを持ってトイレを出た。
それから処置室のベッドに戻り横になって布団を掛けてもらって点滴を続けていたが、カーテンを掻き分けて看護婦が入ってきた。「痛み止めを入れますね。」というので、さて、痛み止めは点滴と一緒に入っているのではなかったかと思った。しかし考えてみれば痛みは少しも治まっていなかった。点滴用の針から痛み止めを入れるのだろうと思っていたら、看護婦は僕の背中の方に回っておもむろにズボンを下げはじめた。「座薬の痛み止めを挿入しますから、少し腰を浮かせてください。」とのご説明。観念して「はい。」と返事するや否や、スルリと少しひんやり感のある座薬がケツの穴に入ってきた。「30分位で効き始めると思いますからそのままにしていてください。」「ナニーッ!あと30分もこの痛みに耐えろというのか?」
その直後だったろうか、医師が2名ベッドのところに来た。一人は女医さんで中国系か韓国系の人だった。待合室に担当医の予定表が掲げられていたが、そこに見た今日の内科の医師の名は日本人の名ではなかったことを思い出した。もう1人は先刻の日本人男性意志だった。その女医がやっと僕の病状を説明した。
「おそらく尿路結石だと思われます。ただすい臓にも少し炎症が認められます。」
とのことだった。
「そうか、尿管結石か!」つい何ヶ月か前に家内のいとこが卒倒するほどだったと言っていた病気の名を思い出した。そのときは人の痛みのことで良くわからなかったが、いまははっきりとその痛さの程度が分かった。合点!
その後、男性医師が1人でやってきた。
「今日のところは尿路結石だろうということで、痛み止めを出しておきますが、この後も痛みがひどいようでしたら泌尿器科か内科に再来院してください。」
とのことだった。
「何だ?尿路結石じゃないのか?」
せっかく痛みの正体の合点がいったと思っているのにそれじゃ別物の可能性があるというのか?と少し不満を感じたのだった。
しかし、そのうちに痛み止めが効いてきたらしく、ベッドの上でゆっくり休めるようになり、やがてしばし睡眠したようだった。思えば5時前から起きていて睡眠は不足して心身ともに疲れていたはずだ。時計を見たいと思ったが、必要な連絡と指示は出来てると思い直してそのまま休むことにしたのだった。
ふと目覚めると点滴袋が空になりそうだった。暫く待ってナース呼び出しブザーを押した。受付のときとは違う少し年配らしい看護婦がやってきて点滴のチューブをはずし、注射針を抜いて、注射跡に厚いガーゼのようなものを当てて強くテープで張り付けた。「点滴用の針は太いので5分ほど強く抑えててください。治療代と処方箋を会計の方に回しておきますから、その後そちらの方に行って待っていてください。」と言われた。
5分ほど経ったので、ベッドから起きて服を着て、カーテンを開けて外に出た。通常の外来対応等で看護婦や患者やいろいろと人がたくさん居た。病院スタッフにお世話になりましたと挨拶しながら88番ルームを出て会計窓口前に向かった。もう酷かった痛みは感じなくなっていた。
精算を待っている間に携帯を取り出してみるとメールと着信がたくさん来ていた。仕事関係の緊急のものからメール返信と電話を掛けた。次に家内に報告した。
本日の治療費は何と1万円を超えた。貰った処方箋を持って道路向かいの薬局に行った。タクシーで乗り付けたときには降ってなかったが、雨が降っていた。薬局で薬の内容と使用方法を説明して手渡してくれた薬剤師の女性が「尿路結石には炭酸水が良いといいますよ。」と教えてくれた。「あれ?病名まで処方箋で分かるのか?」「そんな個人の病名を大声で言っちゃ拙いだろう。」とおもいつつもお礼を言って早々に薬局を出た。
午後来社予定だった会社の担当者に電話をした。早目の連絡(実は昨日の内に今日のアポが有効か否かを再確認してもらってNGになっていたのだが。)で相手方には迷惑は掛からなかったとのことだった。なんと相手方は社長が来る予定だったとのことだった。
ほっとしたところでセブンイレブンによりビニール傘を買って、雨を避けながらバス停に向かった。アパートの手前のバス停で下りて、サンドイッチと炭酸水のPET飲料等を買って帰った。
帰宅して仕事用の携帯電話を見るとこちらにもいくつか着信や留守電が入っていたが、既に対応済みの内容だった。全く電話というものは容赦なく掛かってくるものだなと苦笑した。と、直ぐに個人用の携帯に着信が入った。かみさんからだった。午後半日休暇を貰ってアパートに来るという。会社の上司同僚からも「ご亭主は死ぬかもしれないから行った王が良いと言われた。」とのこと。どこから「死」などという縁起でもない言葉が出たのかと思ったが、みんな心配して言ってくれているんだろうと思うことにした。
家内への「尿路結石」との連絡は娘や息子や家族に転送されたようで、その後次々メールや電話が掛かってきた。息子などは遺伝的なものを気にしての発言か「僕もいつか罹るのかなあ。嫌だなぁ。」などと父親の心配より自分のことを心配するようなことを言っていた。しかし滅多に電話などしてこない奴が電話掛けてきたことだけで良しとしよう。
午後遅くなって、夕食用の買い物をしてかみさんがやってきた。部屋に入るなり、片付いてないとあちこち掃除を始めた。早めに風呂を立てて入り、その間に夕食の準備を整えて貰った。痛み止めの薬のせいか今日一日の疲労のせいかあまり食欲は無かったが久しぶりにアパートで1人ではない夕食となった。「息子が今とは違う大学に言ってて、お父さんも健在だったらこのアパートで家族で暮らす予定だったのにね。」「人生は思うようには行かないものだな。」などと語り合った。
家内は明日会社を休めと言った。そうすれば今晩これから車に乗せて連れて帰れると。しかし、今週中にどうしてもけりを付けあるいは進めておかなくてはならない案件がいくつかある。詳しい説明はかみさんにしても分からないのでとにかく明日は出社するつもりだからと話した。かみさんはしぶしぶ納得して午後8時前に帰路に着いた。
昨日今日と二日続けての東京往復だから気をつけて帰りなよと送り出したが、午後10時には家に着いたと連絡が入った。「無事に帰れてよかったな。はよお休み。」と電話を切った。しかし片道約80kmを所要時間約2時間とは、僕にはスピードを出すなといっているくせに相当飛ばしたなと思った。本当に何事も無くて良かった。
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結局病院での処置は点滴と痛み止めの薬の処方だけで、肝心の結石くんは一体どうなっているのだろうと思う。まだおなか中がしくしく痛いところからは腎臓から膀胱への腎臓よりの途中に留まっているのだろうか。
痛み止めで痛みをごまかしながら、水分を多くとって、尿とともに流し出すしかないのだろうか?何とも心許無い対処法ではないか。
痛み止めは5つくれた。7時間おきにあるいはしくしく痛みを感じたらケツに挿入しろと言っていたが、そんな5つなど直ぐになくなってしまう数ではないか。鎮痛薬があるうちに結石くんが出てきてくれれば良いが、頑固に尿管中に止まったらどうなるのか?またあの激痛が襲ってくるかと思うと何とも落ち着かないのだが?さて?
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